歴史が、未来をつくる

四日市で生まれ、世界に羽ばたく総合物流企業へ。

はじまりは明治28年、四日市港の近くに資本金3万円で設立された倉庫会社でした。
それから120余年の時を経て、総合物流企業へと成長を遂げた私たち、日本トランスシティグループ。
地域とともに生き、広く社会の発展に貢献することを理念として掲げ、今も努力を続けています。
当社の歩みのほんの一部を、ご紹介させていただきます。

創業〜黎明期
[1895年(明治28年)四日市倉庫、誕生]
四日市倉庫

1895年(明治28年)四日市倉庫、誕生

四日市はもともと、その名の通り「市」を中心とした商業の町で、港を中心に物資の集散地として栄えてきました。明治時代になり、西欧文化が輸入されるようになると、四日市にも近代工業への波が押し寄せました。
四日市港は貿易港としての評価が高まり、明治22年には米・麦・石炭などの特別輸出港に指定されることとなりました。それを機に港はますます隆盛し、商工業のさらなる発展を目指す四日市経済界の面々からは「四日市の港に倉庫会社を」と提唱されるようになったのです。
日本で資本主義経済が確立されたのは、明治20年前後と言われます。そしてその頃には、日本各地に倉庫会社が現れはじめていたのです。時代の趨勢に応えるように、四日市倉庫株式会社(日本トランスシティの前身)が設立されたのは明治28年。当初は米や魚粕、菜種油の扱いが事業の主な柱でした。

年表
1889年(明治22年)
四日市港が特別輸出港に指定
1894年(明治27年) ~ 1895年(明治28年)
日清戦争
1897年(明治30年)
四日市港が開港外貿易港(特別輸出入港)に指定
1899年(明治32年)
四日市港が開港場に指定
飛躍
[繊維産業の拡大期、輸入や国内輸送の拠点となる]
繊維産業の拡大期

繊維産業の拡大期、輸入や国内輸送の拠点となる

四日市港が外国貿易に使用される開港場として指定されると、港を拠点とした貿易はますます拡大していきました。当社への入庫貨物も年々増加し、所有する土地や倉庫も増え、著しい発展を遂げることとなりました。その頃、石油保管のための特殊倉庫建設や、綿花の荷揚げ・運搬体制の整備など、新たな貨物の受入れ環境も整えていったのです。
四日市港の恩恵をもっとも大きく受けた産業は、紡績工業と、第二次大戦後の 石油化学工業だと言われます。紡績においては、明治40年に綿花が四日市港輸入金額のトップになっています。当社も綿花の取扱いが増えていき、昭和7年には豪州航路開設とともに羊毛も扱うこととなりました。
また昭和初期には、四日市港二号地の土地を買い入れ、大型船舶が接岸できる 専用岸壁や倉庫・上屋を拡充。一企業の発展だけに留まらない、地域開発と四日市港の自主的発展を推し進める事業を執り行ったのです。

年表
1904年(明治37年)~ 1905年(明治38年)
日露戦争
1914年(大正3年) ~ 1918年(大正7年)
第一次世界大戦
1932年(昭和7年)
豪州航路開設、「メルボルン丸」四日市港へ入港
1959年(昭和34年)
四日市港が世界一の羊毛輸入港に
成長
[高度成長期、総合物流企業としての基盤を構築]
高度成長期

高度成長期、総合物流企業としての基盤を構築

昭和30年代になると新しい産業分野として、石油化学コンビナートが形成されていきました。四日市でも、昭和30年に払い下げられた旧海軍燃料廠跡に日本初の大規模な石油化学コンビナートが発足。全国でも有数の石油化学工業地帯が生まれたのです。
当社は、コンビナートに進出する工場建設資材の輸送業務に携わることをはじめ、工場機械の通関・運搬、さらにはコンビナートで生産された合成樹脂の倉庫保管や発送などを手掛けることとなりました。それまで羊毛・綿花といった繊維原料が大きなウェイトを占めていた業容に、新たに石油化学製品が加わり、当社の二本柱へと成長していきます。こうした業務の拡大に合わせ、昭和40年代には東京や鹿島に支店を開設するなど日本全国への拠点展開も推し進め、総合物流企業へと成長を遂げていきました。

年表
1961年(昭和36年)
東京証券取引所へ株式上場
1964年(昭和39年)
東京オリンピック開催
1968年(昭和43年)
東京支店開設
四日市港とシドニー港の姉妹港提携
発展
[自動車分野への進出と、国際化への対応]
自動車分野への進出

自動車分野への進出と、国際化への対応

四日市港から乗用車の本格的な輸出がはじまり、当社がそれを手掛けることとなったのは、昭和47年のことでした。日本の基幹産業となった自動車産業は裾野が広いことから、当社も完成自動車のみならず、合成樹脂や合成ゴム、鉄鋼コイル、機械部品や電子部品など幅広い自動車関連製品を取扱うことになりました。
同時に、自動車の海外生産が進展するのに呼応して、海外ネットワーク整備にも注力していきました。
お客様のサプライチェーンを担うべく、国内外で一貫した物流サービスを構築するため、昭和53年に国際輸送部開設、昭和55年には北米市場をにらみロサンゼルス駐在員事務所を開設。来たる“国際複合輸送時代”への布石を着々と打っていったのです。

年表
1973年(昭和48年)
第一次オイルショック
1978年(昭和53年)
成田空港開港
1980年(昭和55年)
ロサンゼルス駐在員事務所を開設
日本の自動車生産台数がアメリカを抜く
1984年(昭和59年)
IATA(国際航空貨物運送協会)貨物代理店資格取得
1985年(昭和60年)
Yokkaichi America Corporation
(現社名:Trancy Logistics America Corporation)設立
現代へ
[時代に適した情報システムを導入し、物流を支える]
物流を支える

時代に適した情報システムを導入し、
物流を支える

物流の仕事は、輸送・保管・荷役・包装・流通加工・情報の6つの領域にわたるもの。その中の「情報」に関しては、近年もっとも著しく進化を遂げている領域です。当社では、すでに昭和55年から東京・大阪・三重各支店(2年後に名古屋も加わる)で市中倉庫集約オンラインシステムを稼働させています。昭和60年には本社電算システム部と東京・大阪・名古屋を高速デジタル回線で結んだ新システムを導入。平成3年には21世紀を見据えた物流情報システム(LINETS)の運転を開始。さらに平成24年には新国内物流管理システム(WALTZ)を稼働させるなど、常に時代のニーズに応じた情報システムを取り入れてきました。
21世紀を迎えてからも、石油化学製品、自動車関連製品、消費財の取扱いを核とした物流サービスの充実に力を注ぎ続けています。お客様の物流形態の変化に迅速に対応するため、国内に自動車部品や消費財の物流センターを建設。そして海外でも欧州・北中米・中国・東南アジアに現地法人を次々と設立してきました。
時代の変化とともに、物流ニーズはさらに多様化していきます。私たちは今後も、お客様の信頼と期待に応え得る物流サービスの拡充を図り、新たな価値の創造に向け、邁進してまいります。

年表
1991年(平成3年)
物流情報システム(LINETS)稼働
1992年(平成4年)
商号を「日本トランスシティ株式会社」に変更
1994年(平成6年)
関西国際空港開港
1995年(平成7年)
創業100周年
2000年(平成12年)
フィリピン、マレーシア、インドネシア現地法人設立
2001年(平成13年)
ヨーロッパ現地法人設立
2002年(平成14年)
小売・流通業大型物流センター(中部RDC)稼動

「日本トランスシティ」の名に託す想い

平成4年、当社はCI(コーポレートアイデンティティー)を導入し、新たな企業理念と行動指針を策定するとともに、創業以来の「四日市倉庫株式会社」という社名を、「日本トランスシティ株式会社」へと変更しました。新社名の意味するところは、「都市から都市へ、人から人へ、地域を超えて世界に拡がるグローバルな総合物流企業の完成を目指す」という願いを表現しています。創業120年を越えた現在、「物流を通じて社会に貢献できる企業」の形成に向け、社員一人ひとりが叡知を結集してチャレンジしていく、そんな決意を新たにしています。

年表
2004年(平成16年)
メキシコ現地法人設立
2005年(平成17年)
中国現地法人設立
中部国際空港(セントレア)開港
2008年(平成20年)
自動車部品物流センター稼動(九州地区)
2010年(平成22年)
ベトナム現地法人設立
2011年(平成23年)
カンボジア現地法人設立
2012年(平成24年)
国内物流情報システム(WALTZ)稼働
2014年(平成26年)
ミャンマー・ヤンゴン駐在員事務所開設
自動車部品物流センター稼動(中部地区)
日本トランスシティ 企業サイト