メッセージ

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躍動する物流で未来を創造する

100年以上受け継がれる地域への思い。

日本トランスシティ旧本社の写真

1895年、人とモノが行き交う交通の要衝であった三重県四日市。当社は『四日市倉庫』という社名で、米や菜種油などを扱う倉庫業を開始しました。その後、近代産業化の波の中で紡績産業が盛んになるにつれて綿花の取扱いが増大。その後羊毛も取り扱うようになり、戦前戦後を通じてわが国の基幹産業であった繊維産業を支えました。当社の企業理念には「地域とともに生き、広く社会の発展に貢献する」とありますが、これは創業当初から引き継がれてきたもの。「物流を通じてその地域の役に立つ」という思いは、今も変わることなく脈々と息づいています。

時代に合わせ、総合物流企業へ成長。

タンクローリーの写真

戦後、当社の事業に大きく寄与したのが、急速に発展してきた石油化学工業です。四日市に大規模な石油化学コンビナートが作られると、当社はコンビナートで生産される製品を取り扱うようになり、倉庫、海運、港湾、運輸の各部門で業務を拡大。全国に拠点を展開し、北海道から九州までの物流を一貫して取り扱うことのできる総合物流企業へと成長しました。私が入社した1960年代は高度経済成長のまっただ中。当時から困難な仕事は仲間と取り組み、役職に関係なく自由に発言できる社風がありました。この社風があったからこそ、時代のニーズを取り込み、発展できたのだと思います。

経済の発展とともに、新しいサービスを生み出す。

1980年代に入ると自動車産業がわが国の基幹産業となりました。自動車産業は非常に裾野が広いため、当社も樹脂、合成ゴム、機械部品、電子部品といった自動車部品関係をはじめ完成車の輸送も手がけるようになりました。同時にグローバルなネットワークを活かし、世界中のお客様の生産拠点に部品や材料を供給するサプライチェーンを担うようになりました。また、現在では国内に多くの日用品が輸入されていますが、当社は輸送や保管だけでなく、倉庫内で検品・仕分け・梱包・ラベル貼りなどの流通加工を行い、物流サービスの付加価値を高めています。

これからの物流を担うあなたへ。

こうして歴史を振り返ってみると、当社が100年以上にわたり成長を遂げて超えられた要因は、常に時代のニーズにマッチした物流サービスを提供し続けたことにあります。そして、物流業界を取り巻く環境は変化し続けています。学生のみなさんもぜひ夢を持って、先人からのバトンを引き継いで新時代の「物流」をつくる仕事にトライしてください。当社が求める人財は、責任感と熱意を持ち、仲間と一体になって困難なことに自ら先陣を切って立ち向かっていける人。私たちは、そんな情熱とチャレンジ精神を持った仲間と一緒に仕事をしたいと思っています。これからもずっと、モノの流れを通して人々をつなぎ、世界を支える企業であるために。